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Yoshiki Horita

わたしはどう生きるか

今年の自分を振り返るにあたり、やはり体についての出来事から目をそらす訳にはいきません。


一月から二月にかけてと、五月から六月にかけての二回、合わせて一ヶ月間の入院と四回の手術がありました。


イベントをキャンセルしなくてはならず、その時に報告させてもらったことはここで割愛しますが、病気ではなく生まれつきの体質が原因でした。判明したのがちょうど一年前の今日。人生のどこかで、腰を据えて向き合うタイミングが2024年になったということです。


前後の通院も含めて慣れないことだらけ。ですが“アシュラムに入って修行”とセルフ設定していたことで、精神的ストレスは大幅に軽減された気がします。


人生において、設定すること、そう決めることは重要です。


不安になろうと思えばいくらでもなれる。まして初めての体験であれば尚更のこと。


逆に、どのような状況も学びや成長の糧とすることができます。遊びにしたり、ネタにすることだってできます。


無理やりポジティブシンキングする必要はないと思っています。瞑想的に、起きていることを、起きているままに見つめて、その上で今どうしたいか? を自分で決めればいい。


入ろうと思って入れる訳でもないアシュラムで、しようと思ってできる訳ではない修行。それはたいへん貴重な経験でした。


自由に動けなかった日々は、思索を深める贅沢な時間をプレゼントしてくれました。


人生で初めて、自分の身体と真剣に語り合う機会を与えてくれました。


医師、看護師という仕事について、現代医療について、入院食について、など知らなかった世界を見せてくれました。(このトピックだけで長文が書ける)


本当に大切なことのために、そうでもないものを手放す。


自分以上に向いている人に委ねる。


未来は過去の延長線とは限らない。


人生は永遠ではない。いつ何が起こるか分からない。


決して悔いのないように。


ベッドの上で書いたノートは数冊に及びました。


もうひとつ。


自分がいかに愛してもらっているか、たくさんの人が教えてくれました。


正直、面会ができるような状態ではありませんでした。そんな時の、さりげない、けれど深い思いやり、心づかい。贈られた優しい言葉のひとつ、ひとつに、どれだけ大きな力をもらったか分かりません。退院した後にも、心を寄せて下さった方が多くいてくれたことを知りました。


いつでも必要なことが、必要な時に起きるだけ。


この一連の出来事は、あらゆる意味で僕に感謝が足りていなかったと気づかせるためのものでした。


活かさない学びは単に情報でしかありません。


君たちは、ではなく、わたしはどう生きるか。


言葉より行いで示すと決めている年の瀬です。


おかげさまで身体のほうはすっかり元気です。


感謝を胸の中心に、2024年もあとわずか。

Photo by Tasha

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